カンボジアの孤児
難関王立プノンペン大学へ
公益財団法人School Aid Japan(スクール・エイド・ジャパン、SAJ/東京・大田)は2001年から、カンボジアなど途上国の子どもたちに、学校建設や孤児院の建設・運営といった教育支援を行ってきた。カンボジアでは、1970年代に起きた内戦の影響で孤児が増え、一時、その数は10万人にも上るとされた。2013年にSAJの孤児院出身者で初めて、難関大学・王立プノンペン大学の合格者となったナウ・スレイノーイさん(23)は、学校の勉強と合わせて1日10時間以上も勉強し続け、自身で運命を切り開いた一人だ。
スレイノーイさんが、SAJが運営する孤児院「夢追う子どもたちの家」に入ったのは15歳のとき。両親ともエイズで亡くした。その後、兄姉4人が学校を辞めて、成績が優秀だったスレイノーイさんの学費を出していたが、兄姉4人では生活が支えられず、孤児院に入園を希望した。
彼女は、「大学に入学し、SAJの職員になり、育ててくれた恩を返したい」という夢を持ちながら、孤児院の近くのクラコー高校に通っていた。
スレイノーイさんは毎朝4時に起きて勉強し、1日の勉強時間は10時間以上にもおよんだ。その結果、高校3年間の成績は常に学年10位以内だった。
カンボジアの王立・国立大学には入学試験はなく、全国統一高校卒業試験の成績で入学者が決まる。その試験の成績はA~Eまでランク付けされ、A~Cが合格となる。成績上位者であるAとBは、国から奨学金(1年間の授業料)をもらえるが、地方出身者がこのランクを取るのは大変難しい。
■ 孤児からスタッフまで一丸で試験の応援
SAJでは、試験に向けて、孤児院の子どもたち、スタッフ一丸となってスレイノーイさんを応援した。試験の1週間前には、プノンペンに入り、SAJプノンペン事務所に泊まりながら、SAJスタッフから勉強を教わった。
試験が近づくにつれて、日に日に不安になっていくスレイノーイさんの様子を見て、西口友子園長は、彼女を連れてプノンペン大学を訪れた。スレイノーイさんは普段、田舎で暮らしているので、人が多いプノンペンでの生活に慣れていない。そこで、当日を平常心で迎えるため、事前に街中や大学内を案内した。
試験当日、スレイノーイさんは、西口園長、飯田事務所長らに付き添われて、試験会場に入った。彼女にとっては、人生を賭けた試験である。もし不合格なら、厳しい人生が待っている。浪人はできない。年齢制限で孤児院にもいられない。住む場所も働き先もない。
まさに背水の陣で試験に挑んだ。入学試験を終えて戻ってきた彼女は、「歴史の問題ができなかった。受からないかもしれない」と、浮かない表情だった。
西口園長らは、何も言えず、合格発表の日を待つことしかできなかった。
■ SAJ孤児院初の大学生が誕生
結果発表の日は明確に示されておらず、スレイノーイは孤児院で不安な日々を過ごした。試験前からすべての采配をとっていた住田平吉事務局長もプノンペン入りし、同大学のレスミー教授に問い合わせ、結果発表日を確認した。レスミー教授より、「もう結果発表になっています」と聞き、住田事務局長とプノンペン事務所職員全員で結果を見に行った。
2013年10月6日、日本語学科の教室の前に名簿が貼り出されていた。合格発表の名簿の前には、大勢の人だかり。名簿に記された氏名を順にみていくと、そこには、ナウ・スレイノーイの文字――。スレイノーイさんはこの試験でCランクを取り、王立プノンペン大学日本語学科に合格したのだ。
合格発表までの間、孤児院で毎日心配していたスレイノーイさんのもとにも、プノンペンから朗報が届く。孤児院では、スタッフ、子ども全員が集まり、彼女を囲んで大歓声で祝福した。彼女は涙を流しながら喜んだ。
これまでにSAJが建設した学校数は225校に上り、孤児院では約80人の子どもたちが共同生活を送っている。SAJは、「寄附されたお金は1 円残らず現地に届ける」ことを基本方針に活動を広げてきた団体で、今ではカンボジアでも最大の支援団体のひとつになる。ワタミグループはこれからも積極的に支援をしていく。
ワタミグループは、事業活動を通じて社会課題の解決に取り組むとともに、「ソーシャルビジネス」に挑戦する社会起業家を応援しています。